築地本願寺の報恩講に来た。
報恩講とは、浄土真宗の一大イベント。
阿弥陀如来様を紹介してくれた親鸞様に
感謝の法要を捧げる。
法要の前後に説話がある。
浄土真宗について優しく教えてくれる。
聴きながら、キリスト教と同じだ。
と深く思うのだ。
つまり阿弥陀如来様という仏様が、
ダメな自分でも必ずついて見守ってくださる。
という。
面白いのは
仏教では常に苦がある。
という考え方。
この場合の苦とは、思い通りにならないことを
思い通りにしようとする自分のことを指す。
そうだたしかに神様に向かって、
どうか、どうかこうしてください。
と頼み拝んでいる自分がいる。
その願いはまだ叶えられてない。
その願いを叶えるためには自分が動くしかない。
しかし私はそうしない。
でんと構えている。
必ず、必ずあの人が動いてくれるはずだと。
なにかが動くはずだと。
(なんのこと言ってるのかさっぱりわからないですよね。
すみません)
神様にお願いしたって、戦争は無くならないし、
思い通りの人生にならないのに、
私はなぜ宗教が好きなんだろう。
多分慈悲の心を知るためだ。
慈 相手の喜びを自分の喜びとする。
悲 相手の悲しみを自分の悲しみと考える。
私はいいところばっかり取らないで、
会社の喜びも悲しみも知ろうと思うのだ。
人に限らず、会社もまた、人のようなものである。
個性があり、大事にしてるものは会社によって違う。
私は秋川牧園の株主総会に出るたびに、
株価が下がってることを攻め立てた。
今となってはプラスになってるので、
攻めたてることはなくなったが、
もっとなぜ、何が悪いのか一緒に考える
姿勢にしとけばよかった。と反省。
ずっと言ってた社外取締役も置くようになったし
私は経営のプロではないので、今足りないものがわからない。
しかし、会社に迎合するわけではない。
慈悲の心で会社を追求しよう。
それもまたファイナンシャルフィーラーの
役割だから。
