こんばんは。Ff えむずうです。
えむずは、フィナンシャルフィーラーである前に人として習慣にしていることがあります。
毎週日曜日に、銀座教会の夕礼拝に出ることもその一つです。
今日読んだ聖書は、ルカによる福音書8章の9節から10節です。
高校時代も多分読んだことがあると思います。
以下、チャッピーの要約を載せます。
ーイエスは、種を蒔く人のたとえを語りました。種は神の言葉を、種が落ちた土地は人の心を表しています。
道端に落ちた種は鳥に食べられ、石地に落ちた種は水気がなく枯れ、茨の中に落ちた種は覆いふさがれました。一方、良い土地に落ちた種は育ち、百倍の実を結びました。
これは、神の言葉を聞いても、悪魔に奪われたり、試練に負けたり、人生の思い煩いや富、快楽に妨げられたりする人がいる一方、善い心で御言葉を聞いて守り、忍耐する人は豊かな実を結ぶという教えです。ー
神様が落としてくれた種に気づかない人はどこに入るのでしょうか?
神様や周りの人間がいっぱい種落としてくれてるのに、私は気づいてないと思います。
銀座教会に行くようになって数年経ちますが、神様の声は聞こえてきません。
私が種を落としてもらう土台になってないからでしょうか?
そう考えると落ち込みます。見返りを求める必要は無いのですが。
それでも日々選択する事があって迷いつつも前に進んでいるとは思います。
そう思いたい。停滞はしたくないし、してたくないです。
そして、そう思っていればどんなに歳をとっても前に進むことができるのです。
前に進む時、ワクワクドキドキします。ドキドキにはハラハラが含まれます
特に、フィナンシャルフィーラーを提唱している以上それを証明しなければなりません。
どんなに歳を重ねても、種を求めて人や地域を訪ねたいです。
歳を重ねたら、手紙や電話になるかもしれません。教会に行けなくなるかもしれません
しかし種を求めることだけは止めないようにあきらめないようにしたいと思います。