こんにちは!Ff協会の渡部です。
2月27、28、29日と京都、大津に行ってました。
最終日えむずうは平和を追求してるから立命館の平和ミュージアムに行ってみよう。
とか、えむずうは京セラの株主で応援してるから京セラギャラリーに行ってみよう。
とか考えます。自分を納得させようとします。
でも、待てよ、えむずうでは、文化フィール調査もやってるのだから、
紫式部を追いかけてもいいのではないか。
ということで、八条辺りのホテルから、御所近くの廬山寺まで歩きました。
大歩け歩け大会です。
京都市学校歴史博物館を後にして、北上して行きます。
ずんずんずんずん商店街を進みます。
かなり長い商店街で、しかもシャッター通りではない!!
途中神社かお寺があってにぎわってました。
観光客なのか地元の人なのか区別がつきませんでしたが、
人もそれなりに歩いてました。
東京にありがちなチェーン店ではなく、個人商店的な店が多かったです。
三条商店街を抜けると、京都市庁の脇に入り、閑散としてきて、廬山寺に着きました。
紫式部が住んでたところと言われています。
お寺に着いたら観光客がたくさん来てました。
何やら特別開帳があったようです。
スタンプラリー的なキャンペーンもやってたみたいです。
中に入るとボランティアの学生さんが一生懸命ガイドをしてました。
同じこと繰り返しいうので結構大変だと思います。
ロボットになったかのような、、、、。
でも聞く方は初めて聞くのでとても参考になりました。
大河ドラマの中の紫式部こと まひろはまだ若いので、
この御所近くの住宅地のあたりから、四条のにぎやかな方まで
しょっちゅう行き来してたのでしょう。
平安時代、つまり西暦900年代とか1000年代から、現代に至るまで
にぎやかな四条(町の名前)があるのだと思うと、本当に感慨深いものがあります。
四条は、平安時代から、ずっーっとずーっと街の中心だったのでしょう。
商店街のどこかにタイムワープできるトンネルがあるかもしれません。
タイムワープして平安時代に行ったとしても、今日歩いたことで、
感覚的にこの辺かな。という感じがつかめると思います。
そのかわり紫式部の顔がわからないので、本当にこの辺ということしかわかりませんが、、、。
透明人間になる薬を飲んで、平安時代に行ってみたいです。
いま、平安時代について言われてることと、どれぐらいの誤差があるか
調べてみたいです。
人類はまだまだ開発しなければならないものがたくさんあります。
戦争をしてる場合ではありません。人々が力を合わせて人類のために開発しなければならないものがたくさんあるように思います。