2022/4/11

杉並が発展した2大要因

こんにちは!えむずうです。
 
ファイナンシャルフィーラーやってます。
 
企業や地域をフィール調査しては、投資につなげています。
 
 
 
 
しかし、頼まれれば投資に関係ない調査もします。
 
いまは、杉並区方南町をフィール調査しています。
 
杉並区は4つの地域に分けられ、方南町は和田堀町に入ります。
 
この辺が発展していき、ベッドタウンになったのは、
 
2つの大きな要因があります。
 
一つは鉄道の普及、もう一つは、関東大震災です。
 
大正12年(1923)に発生した地震は、都心部に大きな被害をもたらしました。
 
郊外地域への人口流出につながりました。
 
明治22年に開通した甲武鉄道(現中央線)が中心だったと思います。
 
他にも路面電車が走ってたようです。
 
ここで一つの例をあげます。
 
今、杉並区久我山にある立教女学院は、もとは、湯島にありましたが、
 
関東大震災で被害を受け、翌年久我山に移りました。
 
今の立教女学院は、井の頭線の三鷹台駅が最寄り駅で、徒歩5分もかかりませんが、
 
移った当時はまだ中央線の前身甲武鉄道の荻窪駅が最寄り駅でした。
 
みんな荻窪駅から2、30分かけて歩いてきてたのです。
 
ですから、立教女学院の正門は三鷹台駅側でなく荻窪駅側に造ったので、
 
三鷹台駅側は坂下門と言って小さな門でした。
 
それから、今はだいぶ伐採されましたが、私が通ってた頃は、
 
坂下門側は林になっていて鬱蒼としてました。
 
今は門が拡張されて立派な入り口になりました。木も間引きされて陽射しが入るようになりました。