2019/8/23

津和野乙女峠の拷問

津和野の乙女峠についてもう少し書きます。
 
 
 徳川幕府が鎖国をした後も、
 
脈々と250年間の間、長崎浦上の隠れキリシタンは
 
4000人以上もいました。
 
そして「浦上四番崩れ」と言われる弾圧が始まりました。
 
津和野にも浦上の信徒指導者が預けられました
 
当主亀井氏が神道による教化に相当の自信を持っていたからです。
 
しかし、キリシタン信徒の信仰は厚くたやすく改心させることができなかったので、
 
方針を変更して、拷問を加えて棄教させる方法を取り始めました。
 
三尺牢から氷責めに至るまで残酷の限りを尽くしました。
 
二人の人があてがわれたちり紙に責め苦や殉教のありさまを
 
克明に残し、今に伝わっています。
 
雪深い津和野に送られ、獄舎で冬を越すことは相当の拷問でした。
 
日増しに加わる減食の責め苦、
 
池の氷を砕いて裸にして投げ込み、息絶え絶えの者を引き上げて、
 
今度は火あぶりにして責めました。
 
また見せしめのために若者を三尺牢という小さな檻に押し込め
 
人間の弱さを最大限に利用する心理学的拷問も行われました。
 
 
安太郎という若者も三尺牢に入れられました。
 
仲間が慰めに行くと、「私は少しも寂しゅうありません。
 
毎夜12時から夜明けまで綺麗なマリア様が頭の上に現れて
 
とてもよい話をして慰めてくださるのです。」と言ったそうです。
 
このほかにも逸話が残されています。
 

こんなに拷問を受けても決して信仰を変えなかった人がいることがすごいと思います。
 
人間的に弱かった何人かは口ではキリスト教を捨てましたが、
 
働きで得た金で食べ物を買い、信仰を守り通している人々に
 
密かに差し入れをして助けたそうです。
 
キリシタン達が自由 になって故郷長崎に帰った時、
 
「ころんだ」仲間達の弁護をして彼らはゆるしを得て再び教会に
 
入れました。
 
私だったらすぐころぶと思います。
 
拷問に耐えうる信仰とはなんでしょうか。わたしにはわかりません。