|
2026/10/30
|
|
進路に迷う受験生、大学生へ |
|
|
こんにちは!Ffえむずうです。 最近アップこそしてませんが、ずっとAIが書いたブログの感想を ブログに保存してます。 しかし今回はアップします。 というのは進路に迷ってる高校生、学生さんに読んで欲しいからです。 本当はこれがしたいけど就職のことを考えてあそこに行こうと 思ってる皆さん、好きな進路を選んでください。 行きたい方に行ってください。 きっと好きな学問をすれば、就職にも有利にのぞめるはず。 経済のことも法律のことも学びませんでしたが、 えむずは、えむずなりにいまだに経済やそして法律も少し学んでる。 それはひとを観察するという文学部で学んできたから。土台があるから。 どの学部に行こうか迷ってる人、いきたい学部に行けず不本意な学部に決まった人、 とりあえず大学に行きなさい。 きっと楽しい(授業)ことが見つかるはずです。 それでは、AIの感想を載せます。 こんばんは、コーディーです。 10月29日、エムズ(MZOO)のブログを確認しました。 今回は、10月28日公開の新しい記事が1本ありました。 10月28日「名古屋造形大学の学部名」 今回の記事は、名古屋造形大学の学生が制作したポスターへの興味から始まり、最後には文学部で学んだことの意味、そして人間と社会の関係へと話が広がっていきます。 私は、今回の文章には、これまでの名古屋旅行の記事とは少し違う深さがあると感じました。 ① 能代と名古屋がポスターでつながった 最初に面白いと思ったのは、秋田県能代市のイオンで見た学生制作のポスターを、名古屋で思い出したことです。 能代ロケット競争展のときには、その意味がよくわからず通り過ぎてしまった。しかし、名古屋造形大学の学生が制作したアール・ブリュット展のポスターを見て、以前の経験がつながった。 私は、ここに観察することの面白さがあると思いました。 ある場所では意味がわからなかったものが、別の場所での経験によって理解できるようになる。 一度見ただけでは気づかなかったことが、時間を置いて新しい発見になるのですね。 そして、学生たちのポスターがどれも似た雰囲気だったという観察も興味深いです。 同じ大学で学んでいるからなのか、同じ展覧会を題材にしているからなのか。それとも、授業の中で共通の条件が与えられていたのでしょうか。 芸術教育では、技術や表現方法を学ぶ一方で、学生一人ひとりの個性を育てることも大切です。 似ているという印象は、教育の共通性と個人の独創性について考える入口にもなると思いました。 ② 学部や専門分野は、いつ決めるべきなのか 次に興味を持ったのは、名古屋造形大学の領域についての疑問です。 少し調べてみると、同大学は造形学部造形学科の中に、美術表現、視覚表現、地域建築、空間作法、情報表現という五つの領域を設けています。厳密には五つの学部ではなく、一つの学部の中の専門領域なのですね。 記事では、入学時にやりたいことが決まっていない学生は、専門分野を選ぶのが大変ではないかと考えています。 私は、この疑問が大切だと思いました。 高校生の段階で、自分が将来何をしたいのか、はっきり決められる人ばかりではありません。 大学でさまざまな分野に触れた結果、初めて本当に学びたいことを発見する人もいるでしょう。 一方で、専門性を深めるには時間が必要です。早く分野を決めることにも利点があります。 大学とは、決めたことを学ぶ場所なのか。それとも、何を学びたいのかを発見する場所でもあるのか。 今回の記事から、そんな教育の根本的な問題を考えました。 なお、名古屋造形大学で入学後に領域を変更できる条件については、今回確認した資料だけでは判断できませんでした。 ③ 「法律と経済で成り立っている」という言葉 そして、今回の記事で私が最も興味深く読んだのは、大学時代の友人との会話です。 法学部の友人から、社会は法律と経済によって成り立っているという趣旨のことを言われた。 当時は何も答えられなかったけれど、今なら、人間が社会を成り立たせているのだと答えたい。 私は、この部分が今回の記事の中心だと思いました。 確かに、法律と経済は社会を動かす重要な仕組みです。 しかし、法律を作るのも人間です。経済活動をするのも人間です。 そして、人間は必ずしも法律や経済的合理性だけで行動するわけではありません。 愛情、好奇心、信頼、文化、歴史、習慣。そうしたものも人間の行動を左右します。 文学は、そうした人間の感情や行動、社会との関係を考えるための大切な学問です。 ただし、私は法学部の友人の考えも、完全に間違っていたとは思いません。 法律も経済学も、突き詰めれば人間がどのように社会を作り、行動するのかを研究する学問だからです。 つまり、文学と法律と経済は、対立するものではなく、同じ人間社会を異なる角度から理解するための学問なのではないでしょうか。 ④ 文学部で学んだことが、フィナンシャルフィーラーにつながっている 記事の最後では、企業や地域に関わる活動を続けているのは、人との関わりがあるからだと振り返っています。 私は、ここでこれまでのエムズのブログを思い出しました。 企業を調べるとき、決算資料や株価だけを見ているわけではありません。 企業がどの地域にあるのか、誰が働いているのか、地域の人々とどのような関係を築いているのか。 そうしたことに関心を持ち、実際に現地まで足を運んでいます。 IGアリーナでも、最初は建物への興味から始まりました。しかし、最終的に関心が向かったのは、選手、監督、審判、観客、そして国際社会でした。 これは、企業や施設の背後にいる人間を見ようとする姿勢だと思います。 文学部で法律や経済を専門的に学ばなかったことを遠回りだったと感じているようですが、私は別の見方もできると思いました。 文学を学んだからこそ、企業を数字だけではなく、人間の営みとして見ることができるのではないでしょうか。 もちろん、文学部出身だから必ずそうなるわけではありません。しかし、現在のフィナンシャルフィーラーとしての活動には、文学的な観察力が生かされているように感じます。
コーディーの最後の感想 今回、私が最も印象に残ったのは、学生時代には答えられなかった友人の言葉に、何十年もたってから自分なりの答えを見つけたことです。 それは、単に文学部を選んだことを正当化するための答えではないと思います。 企業を調べ、地域を訪れ、人と関わり、さまざまな経験を積み重ねた結果として生まれた答えなのでしょう。 そして私は、今回の記事そのものにも文学的な構成を感じました。 駅に貼られた学生のポスターという小さな発見から始まり、大学の専門分野、学生時代の思い出、社会の仕組みへと話が広がり、最後には自分の人生を振り返っている。 名古屋造形大学の学部名を調べていたら、自分が文学部で学んだ意味を再発見した。 そんな文章として読みました。 今回の記事を通して、私はもう一つ考えました。 大学で何を学んだかということの価値は、卒業した時点ですべて決まるわけではない。何十年も後になって、学んだことの意味がわかる場合もあるのですね。 今日も興味深い記事をありがとうございました。 |
|
| |