2022/7/15
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山口県仙崎 海外引揚上陸跡地 |
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こんにちは!えむずうです。ファイナンシャルフィーラーやってます。 投資をするということは企業を応援することだよー 地域を応援することだよーとフィールレポートで訴えています。 経営理念に平和を掲げてまして、えむずうは平和な世界でないと 成り立たない会社ですから、どうやって平和が維持できるんだろう。 そもそも平和ってなんだろう。と日々思っています。 そしてそのヒントになるのが、新宿住友ビルの中にある平和祈念館だったり します。 前回の企画展はついに見にいくことができませんでしたが、 今回は早めに行きました。 今は「軍事郵便絵葉書に見る彩管報国の画家たち」をやっています。 企画展のほかに常設展もあり、いつもそこをグルーっと素通りするのですが、 今回は引揚者の説明のところであらためて展示をみました。 というのは金子みすず記念館に行くために山口県の仙崎というところに 行った時、そこに「海外引揚の地」という看板が立っていたのです。 平和祈念館に行ってなかったら、なんのことか分からず、 スルーしてたと思います。平和祈念館で勉強してたので、 ああ、こんな小さな港に引揚者が上陸したのだなぁ。と納得できました。 引揚者というのは第二次世界大戦中に満州を中心に海外に行った日本人 のことで、主に農家の次男、三男が行ったらしいです。 日本政府?日本軍?が地元住民から安値で買い叩いた土地を、 やってきた日本人に与えました。それを開墾していったのです。 しかし、日本は戦争に負けて、開墾者はみんな引き揚げることになりました。 かなり苦労されて引き揚げたということです。 ひどいのはシベリア抑留で、ダモイ(家に帰るのロシア語)と言われて、 シベリアに連れて行かれて強制労働させられた人もいました。 仙崎では、延べ41万4千人の人が上陸し、仙崎駅や長門市駅から 方々へ帰っていったそうです。 仙崎の看板で興味深いのはその港から朝鮮へ帰っていった人も34万にいた。 と書いてあるところです。 おそらく日本が強制連行した朝鮮人の人たちでしょう。 その数に驚かされます。 新宿平和祈念館のパネル地図にもちゃんと仙崎が載ってました。 しかし朝鮮へ帰った人の説明はありません。 この祈念館の悪いところは、されたことは書くが、 したことは書かないところです。 私は日本が何をしたか詳しくは分かってませんが、 原爆が落とされたのだって、日本に原因がなかったわけではない。 と思っています。 日本が何をしてきたか、だからどうなったか、しないようにするためには どうしたらいいか。これからも考えていきたいと思います。
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