2024/11/4

コリントの信徒への手紙2@銀座教会

こんにちは!Ffの渡部です。
 
毎週のように書きたくないんですが、
 
面白いので書き留めておかなくてはいけない。
 
3時間ぐらい前のことなのに、もう、漠然としか覚えてない。
 
今日も銀座教会の夕礼拝行ってきました。
 
新約聖書のコリントの信徒への手紙2   10章1節から6節を読みました。
 
説教された牧師さんが言ってましたが、
 
コリントの信徒への手紙1と2の間にもう一つ手紙があったのではないか?と。言われている。
 
なぬー!!聖書は推理小説だったのか!?
 
そしてこの手紙2の10章から13章ぐらいまでがその1と2の間にあった涙の手紙だったのではないか?
 
と言われてるそうです。それぐらい8章とかと書きっぷりが違うそうです。
 
まだ8章とか読んでませんので私には分かりませんが。
 
 
10章の1節から6節の中に『肉』という言葉が何度も出てくる。
 
いつも礼拝が始まる前に聖書読んでおくのですが、
 
これは一体何を指しているんだろうと思ってました。
 
『私たちは肉において歩んでいますが、肉に従って戦うのではありません。』
 
ほへ?ふは?はひ?
 
何言ってるの?となってしまい、牧師さんが説明してたような気もするんですが、
 
ついていけない。
 
『私たちの戦いの武器は肉のものではなく、神に由来する力であって、
 
要塞(ようさい)も破壊するに足ります。』
 
ここでついにメモ書きしてしまいました。
 
この神に由来する力、つまりパウロ(この手紙を書いた人)の武器は
 
信仰、愛、希望なんだそうです。
 
肉は身体のこと?
 
 
 
パウロが何に戦っていたかというと、コリントの教会。
 
最悪な状況だったらしいです
 
コリントの人たちは、パウロにも着飾った、雄弁な人を
 
期待してたそうです。
 
見た目主義だったのかな?
 
 
 
 
 
 
今日、お若いお客様が、新しい白いスニーカーを履いてたので、
 
「スニーカー買ったんですね!」と言ったら、
 
「えー見てるんですねーそんなとこ見てるんですかー」
 
と言われました。
 
実は、傷だらけの真っ黒になった白いスニーカーをいつも履いてたので、
 
買い替えないのかなーと思ってました。
 
だから、「見てますよー」と言いました。
 
今日の聖書を先に読んでたら、同じように言ってたかなー
 
 
 
 
思うには思うと思います。思うことは自由です。
 
「あ、やっぱ今日の新しいスニーカーの方がいいね。」と心の中で思う。
 
でも、それを口に出して言ったかどうか?
 
ああ、いかんいかん、だんだん聖書に影響されている。
 
えむずはえむず。言いたいことを言おう。
 
白が一番汚れが目立つのに、人はなぜ白いスニーカーを
 
履きたがるんだろう。面白い。


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