聖書 出エジプト記を読んで考えた。銀座教会夕礼拝


2024/9/11

聖書 出エジプト記を読んで考えた。銀座教会夕礼拝

こんにちは!Ffの渡部です。
 
下がってる時が買い時なのはわかるけど、
 
さらに下がると思うと買えない、、、、。
 
そう思いますよね。
 
そういう時こそ積立投資です。
 
決まった日に、決まった額だけ指定の銘柄を買っといてくれる。
 
下がってる時はたくさん買える。
 
上がってる時は少ししか買わない。
 
すぐには増えないけど、
 
いつの日か、いつのまにか増えてる。
 
(※そうならない銘柄もあります)
 
 
 
 
 
 
そして個別銘柄を買うより思いわずらう時間がグッと減るので、
 
何をするかと思えば、教会の礼拝に出たりします。
 
先日は久しぶりに日曜夕礼拝に出ました。
 
正午礼拝よりも讃美歌をたくさん歌うので幸せです。
 
今回は旧約聖書の出エジプト記の20章を一部読みました。
 
えむずが中高の時は、ほとんど旧約聖書は読まなかった。
 
宗教の時間が一週間に一回ありましたが、読んだことないと思います。
 
聖書の朗読後、牧師さんの説教が始まります。
 
また目を開けたまま寝ながら聞いてました。
 
神様は私を愛しなさい。という。
 
自分の親にさえ言われたことがない。
 
自分のこどもに言ったこともない。
 
確かに。
 
私を愛しなさい。なんて普通言わない。言われたことない。
 
いうとしたら、私のこと好き?
 
って聞いたりするかも。
 
これは、あなたのこと好きだから、私のこと好きになって。
 
と言ってる気がする。
 
ユダヤ教?の神様はそんな生半可なことは言わない。
 
私を愛しなさい。という。
 
神様はとても自分に自信があるとみた。
 
だから神様なんだ。
 
 
 
 
 
えむずの神様はえむずの中にある。えむずのオンリーワンの神様。
 
えむず専用の神様。
 
神社の神様、イエス様、阿弥陀様でもない。
 
えむずの中にいる神様は、圧倒的にえむずのことが好きである。
 
間違いない。例え全世界に嫌われようともこの神様だけは、えむずのことを
 
好きでいてくれる。(愛してるというと大袈裟すぎる気がする)
 
私は自分のことを好きになれない人は、他人を好きになれないと思っている。
 
えむずは、自分のことが好きだから、神社の、お寺の、教会の、神様が好きだ。
 
これらの神様を他人というのはおかしいかもしれないが。
 
でも、どちらが先だったかわからない。
 
中高時代毎日礼拝してイエス様に触れてたから、自分のこと好きになっていったのか、
 
(神様はあなたを愛しておられる。と耳にタコができるぐらい言われたから
 
自分のこと好きになっていったのか?)
 
自分のことを元々好きだったから、今、教会や神社の神様に会いに行く気になれるのか。
どちらなんだろう。
 
思うに、えむずの神様は、自分の中にあるのだから、
 
えむずは、教会や神社という場所を借りて、自分(自分の神様)に会いに行ってるとも
 
言えるのかもしれない。
 
礼拝中に自分のこと考えたりしてないような気がするけど。
 
礼拝は儀式に次ぐ儀式で立ったり座ったり大忙しだ。
 
とにかく、自分のことが好きだから、他人である神様が好きでいられるから、教会に行っている。
 
自分のこと好きになりたかったら、教会や神社に行くといいのかもしれない。
 
 
 



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