2020/3/16

関寛斎さんの生涯。

東金文化会館は、坂を上がったあまり車通り、
 
人通りのないところにあった。
 
文化会館の前にすかいらーくがやっている
 
バーミヤンという中華ファミリーレストランがあった。
 
なぜこんな寂しいところに作るんだ!!
 
と憤慨した。
 
もっと賑やかなところに作ればよいではないか!!
 
背景が鬱蒼とした森になっていて、
 
なおさら店が暗く感じる。
 
 
 
 
 
 
さて東金文化会館の中の常設展は、
 
とーっても狭かった。5人もいれば満杯だ。
 
しかし、もちろんの貸切状態。
 
関寛斎さんという方の生涯を知ったのであった。
 
 
 
 
 
関寛斎さんは(1830-1912)東金出身の蘭医学者で、
 
長く徳島藩蜂巣賀氏の御典医を務めたあと、
 
晩年北海道の開拓に行った。という
 
一風変わった生涯をおくられたかた。
 
徳島で安泰すればいいものを年老いて北海道に
 
いかれるなんて、なんてチャレンジャーだと思う。
 
そこには思いがあり、息子たちを先にいかせてたらしい。
 
伝記がいくつか出ていて、展示されていたが、
 
触って読むことは出来なかった。
 
 
 
今回の企画展は東金市菱沼の土屋家から大量に文書が発見されて、
 
色々なことがわかってきた。ということらしい。




えむずも行った先や、参加した先のチラシ、
 
手紙類書類を月別に保管してるのだが、
 
本棚が限られているので、泣く泣く古いものから
処分している。
 
20年後、30年後のファイナンシャルフィーラーが見たら、
 
参考になると思うのだが。
 
自分で見返しても面白い。
 
 
 
えむずは、120年ぐらい生きるつもりなので、
 
今から全ての文書を取っておくことはできない。
 
ただフィールレポートだけは取ってある。
 
多分ないがもしかしたら、晩年東京から
 
どこかへ飛ぶようなこともあるかもしれない。
 
その時は逐一フィールレポートに書き留めようと思う。
 
 
 
 
関寛斎さんの生涯もさることながら、
 
色々文書のやり取りをしてたこと。
 
それがとっておかれたこと。に驚くのだ。
 
日本は昔から、紙だけはこまらなかったんだと思う。
 
未来のファイナンシャルフィーラーがいうだろう。
 
日本のファイナンシャルフィーラーえむずも
 
紙の印刷だけは困らなかったようだ。
 
と。
 
海外にキンコーズのような安く印刷したり、
 
製本してくれたりする店はないと思うので、
 
キンコーズのような店があるところに
 
住んでることが幸せだ。