2019/12/6

言語科目としての日本手話

今日は立教大学の手話についてのセミナーに参加した。
 
 「言語科目としての日本手話」
 
手話には、日本手話と日本語手話があることを
 
初めて知った。
 
日本語手話とは、助詞なども手話で表現するが、
 
日本手話はもっと自然体のろう文化の手話だ。
 
今日のセミナーは全部、手話通訳付きだった。
 
 
 
手話は、言語文化の一種だという。
 
聞こえる赤ちゃんが、言語を習得していくのと、
 
聞こえない赤ちゃんが、聞こえない親から、
 
手話という言語を習得していくのは

同じ過程をたどるのだという。
 
当たり前と言えば当たり前かもしれないが、
 
改めて教授から聞くと新鮮だった。
 
 
 
 
ろう者の教授が松尾芭蕉の俳句を
 
例にろう文化としての手話を表現してくれた。

手話は音がないので、5、7、5にこだわらない。
 
もっときめ細やかな表現ができる。
 
 
この延長線上でいくと、
 
聞こえる人の音楽に合わせた手話ダンスは
 
大嫌いなろう者もいるのだという。
 
どうしても無理があるらしい。
 
そう聞いてショックだった。
 
手話と音楽を融合させるなんてすごい。
 
と単純に思っていたが、
 
そう簡単ではないらしい。
 
私は、手話パフォーマンスグループ
 
ハンドサインを応援している。
 
私がハンドサインの歌を聴くのと、
 
ろう者がハンドサインの手話を見るのとでは
 
全然違う見方になってるのだろうか。
 
ろう者はハンドサインをどれだけ受け入れてるんだろうか。
 
 
手話は必ず目と目を合わせて
 
会話するらしい。
 
眉毛や、細かな相づち、目の動きも
 
手話に使われている。
 
そういうことが苦手なろう者はどうしているのだろう。
 
 
大学のカリキュラムとして
 
手話科目を取り入れてる立大って面白い大学だな。
 
と思った。
 
10年のあゆみ   と副題が付いてたので、
 
私が通ってたころはなかったと思う。
 
受講する学生さんがいる限り続けていって欲しい。