2019/10/20

心の豊かさというお金

私は割と宗教が好きだと思う。
 
好きになったのは、中高の多感な青春時代、
 
毎日キリスト教の礼拝をしてたせいだと思う。
 
まずキリスト教が好きになって、
 
ほかの宗教にも敬意を払うようになった。
 
イエス様の復活さえなければ、クリスチャンに
 
なってたかもしれない。
 
もっと日本でも広がっていたことだろう。
 
 
 
 
今日中高時代を過ごした立教女学院が、
 
礼拝をするというので行ってきた。
 
参加者の少なさにびっくりである
 
立教女学院は女子校なのだが、
 
どこで聞きつけたのか、男性の参加者が多かった。
 
私の同級生はいなかった。
 
まず3時からという遅く始まるせいもあるだろうし、
 
宣伝も足りないんだと思う。
 
配布物を注意深く読んでなければ、催されることに
 
気づかないぐらいだ。
 
今現在通っている中学生、高校生も見当たらない。
 
毎日礼拝してるからいいや。と思ってるのか、
 
あることを知らないのか。
 
 
 
 
私にとっての宗教とは今の自分を振り返る儀式だ。
 
そして藁をもすがる思いで神様にすがる。
 
どうかお金持ちになりますように。
 
ファイナンシャルフィーラーになると
 
お金持ちになれることが実証できますように。
 
と。
 
実物のお金ではない
 
心の豊かさというお金である。
 
心の豊かさというのは、働かないとお金がもらえない。
 
それはもちろん、実物のお金をもらう働きではない
 
実物のお金をもらわなくても働けること。
 
働くとは、行動することと言ってもいい。
 
私は、立教女学院が、これからどのように持続可能に
 
していくのかよく見えてこないが
 
(むしろもがいているようにさえ見える)
 
ファイナンシャルフィーラーの仕事をわきに置いて見守っていこうと思う。
 
私は実物のお金はないが、心の豊かさのお金は多少ある。

お金を存分に使いたい。