5G時代の新たなテクノロジーは単なる技術の進化だけでなく、
人々の概念も変えてしまう可能性がある。
コミュニケーションや医療、エンターテイメント、働き方
に至るまでこれまでに想像できなかった社会が目の前に広がり、
人々に多大なインパクトを与える時代はそう遠くない未来に
実現すると言われている。
こう言うのをシンギュラリティというのではないか。
しかし、あまりにも便利すぎると不便になることもある。
例えば今、アイパッドを使ってるのだが、
ある画面を見ていて、ちょっとでも、本当にかすかに
触れただけで、他の全く関係ない見たくない広告に飛んでしまうことがある。
iPadの感度良すぎだ。
5Gの世界もタッチスクリーンと音声入力によるコミュニケーション手段に
変わるらしいが、家族で会話してるだけなのに「洗濯」という
言葉だけを拾って、勝手に洗濯機が洗濯を始めてしまう可能性だってある。
JR のスイカのシステムが出た時、私は和歌山に住んでいて、
久しぶりに東京の電車に乗ろうとしてスイカについていけなかったことがある。
まさに立ち往生。
それが今は難なく使えている。
オートチャージを知ったおかげだ。
逆に地方に行くとスイカが使えないので、切符を買うことになる。
それを面白い、楽しいと思うか、めんどくさいと思うか。
人によって別れるところだろう。
5Gの世界になるとVRで擬似体験ができるようになるらしいが、
旅行だけは、めんどくさくても切符を買ってでもしよう。
と私などは思ってしまう。これは古い考えになってしまうんだろうか
あまりにも早く発達すると、必ず戻ろうとする現象が起きる。反発。
そうして行ったり、戻ったりしながら発展していくのだ。