2019/6/27

キリシタン

今日は朝は細かい雨が降ってましたが、
 
森鷗外記念館を出る頃には、止んで、
 
ずっと晴れています。
 
天気予報が外れて本当に嬉しいです。
 
用意したレインコートの出番はありませんでした。
 
15時代は電車が無くて、16:56まで電車がありません。
 
今日は新山口から高速バスで帰る予定です。
 
津和野を満喫しました。
 
町の全てが貸切です。
 
私以外観光客が見当たりません。
 
1番印象に残ったのは、乙女峠のマリア聖堂です。
 
(隠れキリシタン)
長崎に江戸幕府の鎖国以降も隠れキリシタンがいました。
 
脈々とマリア様を崇拝してたのです。
 
そして、幕府が鎖国をやめて、修好通商条約を結んだ頃、
 
フランスの宣教師が大浦天主堂を建てた時、

隠れキリシタンの存在が明るみに出ました。

(津和野で拷問)
 
明治政府もキリスト教禁止、信教の自由の禁止を
 
引きついだことから、158人のキリシタンに改宗をさせるべく
 
津和野に連れて来ました。
 
津和野に来させられた長崎のキリシタンは、減食、氷責め、
 
三尺ろう責めなどの拷問をうけ、38人の殉教者が、死にました。

その中でも決して改宗することのなかった
 
信者たちは、5年後に信教の自由を得て長崎に帰ったのです。
 
 
(マリア聖堂)
私は、鎖国以降も隠れキリシタンがいたことなど全く知らなかったので、
 
その事実に驚きました。
 
乙女峠は、峠というだけあって山の中で、
 
スーツケースを津和野駅のロッカーに預けたのは正解でした。
 
とうげには、石碑や、石像や、教会があり、
 
ここで昔、拷問がされてたのだな。と少し背筋が凍りました。
 
さらに山を登るコースもありましたが、
 
山道が湿ってること、虫がすごいこと、
 
どれぐらいの時間がかかるかわからないこと、
 
などから引き返しました。
 
(乙女峠)
 
毎年5月3日に乙女峠まつりがあり、津和野カトリック教会から
 
マリア聖堂まで巡礼するそうです。
 
その様子をみてみたいものだな。と思います。
 
(信仰)
もとよりキリスト教徒ではない私ですが、もし明治時代初期、
 
津和野で拷問でも受けようものなら、さっさと改宗してると思います。
 
私は、そのような強い信仰を持ってないし、
 
我慢することを神様が喜ばれるとは思わないでしょう。
 
拷問に耐えかねて改宗したものたちも、
 
5年後に長崎に帰った時、教会に入ることを許されたそうです。
 
そんなものだと思います。
 
私は、とても、とても心の弱い人間です。
 
それでも神様は忘れずに見守っていてくださると思っています。
 
この場合の神様は、イエス様であり、阿弥陀様であり、神社の鏡であります。
 
自分の中の神さま。といってもいいかもしれません。