(朝鮮通信使)
近江八幡の一番栄えた新町通りあたりは、朝鮮通信使の通り道でもありました。
朝鮮通信使とは、信(よしみ)をかわすため朝鮮から派遣されてきた人たちです。
豊臣の二度の朝鮮出兵で、途切れていた朝鮮との国交回復に
徳川家康は尽力し、1607年から1811年までの間に12回朝鮮通信使が来ました。
ソウルを出発して対馬から江戸まで2000キロの距離を渡りました。
近江八幡では、休憩と昼食を食べたそうです。
その昼食の見本がかざられていました。
そこに熨斗が最初にありました。(本膳の前)
のしとは、アワビを薄く引き伸ばし乾かしたもので、
永続の意味を表します。
今でも「のしを付ける」とか「のしを添える」
などと使います。今ののしは紙に印刷されたもので水引なども入っており、
本物の伸しアワビは使いません。
初めてのしの意味を知りました。